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◎水俣病ってどんな病気? |
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工場排水に含まれていたメチル水銀によって神経細胞が障害を受ける病気で、そのために手足のシビレ感などさまざまな障害がでます。
水俣病を完全に治す治療方法はありません。水俣病になった人たちの苦しみは、今も続いています。
図:水俣病で特に冒される大脳や小脳の部位
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◎新潟水俣病の原因は? |
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新潟水俣病の原因は、昭和電工鹿瀬工場の排水が原因でした。
工場はアセトアルデヒドという化学物質を製造していましたが、その製造工程のなかでメチル水銀が作られて、処理されないまま排水といっしょに阿賀野川に流されていました。
図:アセトアルデヒドの製造工程図 |
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◎どんな人が新潟水俣病にかかったの? |
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阿賀野川に流れこんだメチル水銀は、プランクトン、プランクトンから昆虫、それをエサにする魚へと取り込まれました。(食物連鎖)
そして、その魚を長い間たくさん食べた人達が水俣病になってしまいました。
図:食物連鎖によるメチル水銀の蓄積 |
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◎どうして水俣病っていうの? |
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熊本県水俣市で最初にこの病気が発生したことから「水俣病」と呼ばれるようになりました。そして、その9年後に全く同じ原因で同じ病気が新潟で起こったことから第2の水俣病、新潟水俣病となりました。
図:水俣市と新潟市の位置
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◎水俣病になると差別されたの?なぜ? |
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最初は水俣病の原因がメチル水銀とはわかりませんでした。そのため「伝染病」「タタリ」 だと誤解され、結婚や就職で差別されるようになりました。
そして原因がメチル水銀とわかっても行政は積極的にPRしませんでした。そのため、誤解はなかなかとけず、具合が悪くても差別を恐れ水俣病と言い出せない状況になってしまいました。 |
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◎水俣病の認定患者ってなに? |
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水俣病になるとさまざまな症状が現れますが、医師が委員となる認定審査会で審査し、水俣病と認められた被害者の人たちが認定患者と呼ばれています。
水俣病と認められなかった被害者の人たちは、「なぜ水俣病と認められないのか」と各地で裁判を起こし、2004年には最高裁判決で認定審査会より緩やかな基準でも水俣病と認める裁判所の判断が確定しました。
しかしその後も国は認定審査会の基準を見直すことがなく混乱が生じています。 |
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| 水俣病の主な症状 |
| 感覚障害 |
触られていることや熱さ冷たさの感覚が低下する。手足の先端に行くほど強くなる。 |
| 運動失調 |
手のふるえや歩くときふらついたり、箸をつかむなど細かい動作がうまくできなくなる。 |
球心視野
狭窄 |
視野が狭くなり筒をとおしてモノを見るような状態になる。 |
| その他 |
手足・口周囲のしびれ感、耳鳴り、難聴、味がわからない、言葉がでにくいなど多様な症状があり、中には外見からは健康な人と見分けのつかない人もいます。 |
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◎ねたみや中傷 |
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水俣病の患者に認定されると一生治らない病気の代償として補償を受けることが出来ましたが、まわりから「補償金で家を建てた」などねたまれたりしました。また、認定されなかった人達や、これから認定申請をしようとする人達も「お金目的のニセ患者」だと中傷されたりしました。
仲の良かった地域のきずなを壊し、人々の間に埋めがたい深い溝を生み出してしまいました。
これからみんなで、この壊れた関係を正しい知識を持って直す努力をしていかなければなりません。 |
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| 新潟水俣病に関する裁判 |
| ◎新潟水俣病第1次訴訟(1967〜1971) |
◎新潟水俣病第2次訴訟(1982〜1995) |
・新潟水俣病の原因がメチル水銀を含んだ昭和電工の工場排水であることを争った裁判
・原告が勝利し昭和電工の責任が認められた |
・水俣市でおこった水俣病を再び新潟で発生させたことの国の責任と水俣病認定基準を争った裁判
・1995年に政治解決により和解 |
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